職人を語る前に塗装と防水の歴史についての話をさせていただきます。日本で最初のペンキ塗装は? これには諸説があり、その中よりこれではないかと思うものを紹介します。
「事物起源辞典(衣食住編)」(昭和四十五年)は、ペンキの項に、安政元年正月、江戸の職人、町田辰五郎が応接所の建物にペンキを塗ったのが起源であると、次のように書いています。
わが国で初めてペンキ塗装を行なったのは、江戸の渋塗職人町田辰五郎であった。安政元年(嘉永七年)正月十六日(一八五四年二月十三日)アメリカ使節(ペリー艦隊の)浦賀(再)来航のさい、林大学頭は、江戸の渋塗職人町田辰五郎を呼んで、通商交渉をする(横浜)応接所(横浜外交資料館付近)建物外部のペンキ塗装を命じた。ペンキの名を初めて聞く町田は、やむをえず米艦バンダリヤ号に赴いてペンキを譲りうけ、かつ塗装法を習ってもどり、胡粉に荏油を混じて建物に塗り、一時を糊塗するをえた。これが機縁で町田は幕府からペンキの一手取り扱いと、外国公館(領事館・公使館)塗装の特権を与えられた。こうした町田のペンキ塗装を記念して、昭和三十四年五月横浜市中区元町公園に一碑(日本塗装発祥の地記念碑)が建てられた。町田辰五郎は本邦のペンキ職の元祖というわけであるが、町田の行なったのは、要するに油に顔料をまぜたペンキ塗装であった。(以上、引用)
とあり、この説が正しいとすればペンキ塗装の歴史は約150年となります。
それでは防水はどうでしょうか。日本建築学会 材料施工系の各種研究委員会委員他を歴任された鶴田 裕氏の調書(建築と防水の歴史)によれば、1905年に大阪瓦斯本社ビル屋根にアスファルト防水を施したのが建築の防水としては日本で最初であろう・・・とある。この調書が正しいとすると建築での防水の歴史は約100年となります。
塗装に比べ防水についての文献は誠に乏しく、悲しくなってきます。何方か防水の歴史に関する詳しい文献等をご存知であれば是非ご一報ください。
■渋塗(しぶぬり)
柿渋で塗ること。これを専門とする職人を渋塗職人と呼びました。
■柿渋(かきしぶ)
柿渋は渋柿を砕いて絞った汁を発酵熟成して作られます。主成分はタンニンで、防腐効果や耐水性があり、漁網、傘,団扇、渋紙、雨合羽などに塗られていました。また、建築物の塗装にも利用されています。
■胡粉(ごふん)
白色の顔料で貝殻を焼き、砕いて粉末にしたもので成分は炭酸カルシウムです。室町時代以降用いられるようになった。
■荏の油(えのあぶら)
エゴマ(荏胡麻、シソ科の一年草)の種子からとった油で油紙・雨傘などに塗られていた。
■糊塗(こと)
一時しのぎにごまかすこと。
※日本最初の特許は、明治18年「鉄・銅製品のサビ止めの塗料とその塗り方」であり、この塗料は漆、柿渋、アルコール、鉄粉などを素材にしたものだったそうです。
■アスファルト防水
屋根等に溶融したアスファルトにより、アスファルトルーフィング類を張り合わせ、ルーフィング類とアスファルト層とを交互に積層する防水。
■アスファルト
天然には石油層に含まれ、また石油精製の際に残留物として得られる黒色の固体または半固体物質。主成分は複雑な炭化水素。道路舗装・防水・保温・電気絶縁などの材料として利用される。土瀝青。
■アスファルトルーフィング
有機質繊維などを原料とするフェルトにアスファルトを浸透・被覆したシ-ト状の製品。